壬生浪士組

文久2年(1862年)、江戸幕府は庄内藩の郷士・清河八郎の建策を受け入れ将軍・ 家茂の上洛に際して、将軍警護の名目で浪士を募集する。 翌年文久3年(1863年)、集まった200名余りの浪士達は将軍上洛に先がけ、浪士組として一団を成す。京都に到着後、清河が勤王勢力と通じ、浪士組を天皇配下の兵力にしようと計画するが露見する。清河の計画を阻止するために浪士組は江戸に戻ることとなった。これに対し近藤勇、土方歳三を中心とする試衛館派と、芹沢鴨を中心とする水戸派は、あくまでも将軍警護の為の京都残留を主張。 同年3月、公武合体に基づく攘夷断行の実現に助力することを目的とし新選組の前身である「壬生浪士組」が結成される。

イメージ・刀